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17日間のトリノ五輪が閉幕

 投稿者: 中Chan        投稿日:2006年 2月27日(月)09時14分10秒
編集済
  パヴァロッティの名唱、プッチーニ「トゥーランドット」からの
「誰も寝てはならぬ」で、第20回冬季五輪トリノ大会が開幕。

奇しくも「トゥーランドットのヴァイオリンファンタジー」に
乗り、荒川静香が演技、見事、金メダルに輝く。「君が代」奏楽。

閉会式は、ヴェルディの「ナブッコ」の有名な「行け、わが思いよ、
黄金の翼にのって(Va! Pensiero,sull'ali dorate)」の合唱で
大詰めへ。

2006年2月26日夜午後8時(日本時間27日午前4時)から
閉会式が行われ、史上最多の80カ国・地域が参加した17日間に
及ぶ大会が閉幕しました。

これで「誰も寝てはならぬ」との呪縛から開放されて、寝不足の
毎日から平常に戻れそうです。

ちなみに荒川静香には縁起の良いバックミュージックとして、
一躍知名度の上がった、歌劇「トゥーランドット」ですが、
「ヴァイオリンファンタジー編曲版」(Vn:ヴァネッサ・メイ)は、
東芝EMIの「classical ever! Best-energy&emotion-emi」TOCP-67410
(コンピレーションアルバム)に収められているそうです。

また「ナブッコ」の有名な合唱曲は、初演1842年の頃ハプスブルグ家
支配からの独立運動に絡んで共感を呼び、その後はイタリアの第2の国歌
とも呼ばれ親しまれているとの事。国家的行事の締めくくりには、自然に
歌いたい曲のトップに位置するのでしょう。

あんな風に、控えめに合唱が始まると、観衆も一体となって自然に会場全体
に盛り上がっていく様子は、オペラとは一味違った感銘を覚えるものがあり
ます。
 

ゲルギエフ公演が残したもの

 投稿者: 中Chan        投稿日:2006年 2月 9日(木)20時23分42秒
編集済
  ビックファン様  中Chanです。

「指環」鑑賞記に引用していただきありがとうございました。
ハイライトと感じた「葬送」でしたが、どうも形容の言葉が
見つからなかったので、見たまま感じたままに書きましたが、

貴殿の「モチーフの集大成たる「葬送」は凄かった。両チクルス
とも世界が割れて砕け散ってしまいそうな演奏でした。」は、
あの場を経験した一人として、本当にぴったりの表現だと思います。

あのティンパニー群も、リハーサル中に何度か破れたのでは
ないかと思わせるほど、究極の叩きでしたね。
--------------------------------------------------------
「神々の黄昏」だけを遠くから鑑賞したにすぎない私に比べれば
「4部作+α」を通して鑑賞された重みは貴重なものと思います。

いろいろな鑑賞記を拝見しますと、今回ほど、歌手とオーケストラ
の関係を云々されたことはなかったので、天井桟敷では両者共クリア
だったことが、むしろ不思議な発見でした。

ここ5、6年は、国内の「指環」ラッシユが続き、バレンボイム
から4団体も登場していること自体、異常で、若干ありがたみも
薄れますが、逆に、これから10年位は「指環」公演が遠ざかると
仮定するとまさに今回は貴重です。(単品のワルキューレ公演は別)

2000年より前の公演が1987年のトンネルリング4部作
(「指環」日本初演)であり、以後15年間も空白にさらされ訳で、
ワルキューレを除けば、バブル崩壊に重なった不毛の10数年
だったと思います。

個人的には1987年公演も、仕事の関係で一切見れずじまい。
3年後の再演予定が示され、また会いましょうのアナウンスに
期待したのですが、バブル崩壊で反故になりました。

3年後はアニバーサリー公演で、「ワルキューレ」の第1幕、
「黄昏」からの「葬送行進曲」やギネス・ジョーンズによる
「ブリュンヒルデの自己犠牲」等が、演奏会形式で聴けたに
とどまりました。
---------------------------------------------------------
すなわち
「観れるときには、繰り返し惜しみなく観て置くべし」です。

生を4、5時間もかけて聴けるだけでも幸せ、もうけもの。
その効果は日に日に薄れることなく、ボデーブローの様に
効いてきて、次の渇望へと広がって行くことでしょう。

国内組みで上演しそうなところは一巡してしまったし、今後
10年位ブランクになる可能性はあるのですが、かのフルト
ヴェングラーが提唱した「指環は演奏会形式に限る!」位の
気持ちで、音楽中心にリターンマッチをやって欲しいものです。

マリンスキーオペラの「指環」旗揚げは、たしか新国立劇場の
トーキョーリングと変わらない時期であり、100年目復活
公演からの幕開けとなったと伝えられます。

トーキョーリング「指環」がついにチクルス公演にも至らず、
ぽしゃってしまったのと対照的に、ゲルギエフの凄い執念で
ロシア「指環」艦隊は、地元「白夜祭」を皮切りに、堂々と
世界巡業に打って出ました。

地元指揮者の牽引力だけで、最高の音色の専属オーケストラを
育て、専属歌手を日替わりで使えるほど育成して、土着神話の
衣をかぶせ、借り物、真似物一切なし、お国訛りのドイツ語で、
堂々と他国に出て聴くに堪える公演を成功させた力量は凄いと
思います。ドイツ、アメリカの公演予定も堅持されているとか。

当初から演出は殆ど不在と割り切って、企画と行動力により
実現しながらも、聴衆にワーグナーを聴いた一定の満足感を
与えてくれたことは確かであり、無理をせず長所を生かした、
賢い選択でもあったと言えましょう。

吉田 真氏も、ヨーロッパでは、一般にオケピットも小さく
4〜50人で全員という劇場オーケストラでもワーグナー
を通しで上演している。日本人は、指定の楽器をフルに集
めた(ハープも6台セットなど)完璧な形での公演に囚われ
過ぎていないかと指摘しています。

フル装備で臨んでも、年に1〜2日の公演しか出来ない、
歌えないでは、どうしようもない。私も完璧指向ではあり
ましたが、楽器など足りなくても、日常的なレパートリー
として上演回数を上げ経験を蓄積する方がいいと、少し
宗旨替えしました。

オペラは、オリンピックではないので、日本も地元専属の
歌手で、少しでも場を増やしていくことが重要でしょう。
地元公演が大成功したケースは関西二期会「パルジファル」
など、稀有な例としてあります。

女子ブリュンヒルデが、世界の金、銀、銅メダルのみで、
男子ジークフリートも、世界の金、銀、銅メダル級の数人
だけが、世界中の指環公演を席巻している感があることは、
ある意味残念なことです。

ワーグナー公演におけるローカル色の取り戻しと軽い演出は、
ゲルギエフ公演を契機に、今後の上演のコンセプトとして、
日本でも見直されることを期待するものです。

-------------------------------------------------------
ゲルギエフは、思い切り鳴らせる管弦楽曲部分と、歌手ソリスト
の協奏的伴奏ともいうべき抑えの部分とは、意識して振り分けて
いたと思います。

「神々の黄昏」では「葬送行進曲」は前者、「槍の誓いの場面」や
「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、協奏的な後者だったと思います。

ただし大詰めの「ブリュンヒルデの自己犠牲」だけは、協奏的伴奏では、
世界のカタストロフィ的な崩壊を表現できないことから、ゲルギエフも
歌唱優先でなく、後半は歌手を意識せず、フィナーレに向かい思い切り
鳴らしきる手法に、スイッチしたのではないでしょうか。

ゲルギエフは、前日1月15日のリハーサルで、オーケストラボックスの
深さまで調整して、客席に聞こえる音響をチェックしていたとの情報
もあり、極東遠征の現場でも、日々努力を傾けたことは確かでしょう。

飯守泰次郎指揮のオーケストラルオペラ「4部作」他が国内ローカル公演
として、次第に演出色を強めながらも、無理のないバランスで好評を
勝ち得て行った課程は、ゲルギエフの独自性と比較しても、良い勝負で
あったと思います。

しかし前者のリーゾナブルな料金に対して、ゲルギエフ公演への反発が、
最後には、料金の高さが金メダル級であったことに帰結していることも、
否定できないところでしょう。

それでも「ゲルギエフ、あなたは凄かった。」 高料金も何のその、
最終日の「黄昏」は、前半公演の時点からソルドアウト表示でした。
日本人の貪欲さと指環指向の高まりも、また凄いものと言えましょう。

平土間か?上階の立ち見か?とコンサートホールの場所と音響の関係に
について、レポートしている記事を見つけましたので、次に紹介しま
しょう。
 

マリンスカヤリング(その2)

 投稿者:ビッグファン  投稿日:2006年 1月31日(火)19時30分29秒
  今回のプロダクションは演出とスター歌手ぬきの舞台というのが売りです。
ということは、指揮=オケ=歌手の奏でる音楽だけで「指環」のすべてを引き受けなければならないということです。録音であるならばまだしも、生の舞台でこれを実現するというのは、至難の業ではないでしょうか。

結果はどうだったか。

オケはすばらしかったけれど、歌手の声量と声の質それと配役のバランスには相当不満が残りました。もちろん個人的な受け取り方ですが。

「ジークフリート」のジークフリート、第一チクルスの「黄昏」のハーゲンは録音ならいざしらず、全くもってチカラ不足もいいところ。ひ弱なジークフリートと蚊トンボのようなハーゲンは、ある意味で演出の意図を体現していたのかもしれないけれど、タイトルロールと悪役には十分にチカラのある歌手をもってくるべきだと思う。
また、第一チクルスの「黄昏」では、ジークフリート、ハーゲン、グンターの声がどれも同じに聞こえてしまった。第二チクルスの「黄昏」のジークフリートは、声量は申し分ないけれど余りに野太すぎて邪悪な感じがしてしまった。
男声陣では、唯一、第一チクルスでローゲとミーメを歌ったオレグ・バラショフが印象に残っています。

ワルキューレ8人衆には大迫力を期待したのですが、それぞれの声量にばらつきがあり、オケに声がかき消されることもあって何とも情けない乙女戦士でした。しかし、それ以外、女声陣は総じてよかったと思います。とくに第一チクルスの「ワルキューレ」のジークリンデは最高(ムラダ・フレドレイ)。第二チクルスの「黄昏」のブリュンヒルデも、「夜明け」の二重唱のハイCは不発だったけれど、貫禄のブリュンヒルデでした。第一チクルスのブリュンヒルデは舞台姿が美しく、「夜明け」のハイCもばっちり決めていましたが、さすがに「自己犠牲」ではオケの大音量にかき消されてしまい残念。
(ここまで書いて、中Chan様がいみじくも「天井桟敷も悪くない東京文化会館」で指摘しているように、大枚はたいて文化会館の平土間で聞いたのが、悪かったのかもしれない。)

最後にゲルギエフの指揮について一言。
もっと大見得をきって暴れるのかと思いきや、実に丁寧な演奏で意外でした。
もっとも、中Chan様が書かれているように、モチーフの集大成たる「葬送」は凄かった。両チクルスとも世界が割れて砕け散ってしまいそうな演奏でした。

以上、総括すると、今回の舞台は完成しておらず発展途上にあるとゲルギエフ自らが認めているように、今後どのように舞台に手を加えていくかが課題だと思います。ジークフリートだけは調達の要ありですが、他の歌手は申し分ありません。2008年の再公演にはまた足を運んでみようと思います。今度は5階席で。
 

マリンスカヤリング

 投稿者:ビッグファン  投稿日:2006年 1月31日(火)18時43分51秒
  第一チクルス全てと第二チクルスの「黄昏」の舞台に接しました。
今回の引越し公演は、従来のゲルギエフ/マリンスキーからすると「衝撃度」の低いものだと思います。かつての「炎の天使」の過激な舞台はどこにいってしまったのでしょう。

今回のプロダクションが演出と無縁であることは事前に知らされていたので、音楽と照明のコラボレーションがどのように感動をもたらしてくれるのか期待をもって臨んだのですが、個人的にはちょっとがっかりでした。
巨像と衣装と照明がとても調和していたとは思えなかったからです。
おそらく、オリジナルな舞台と衣装はもっと野蛮で奇異なものだったのでしょうが、それを中途半端に洗練させ一般的なヴォータンの衣装やブリュンヒルデの姿に変えてしまったことで、本来あったはずのコンセプトの統一性がくずれてしまったのではないでしょうか。

ヴィーラント・ワーグナーの「トリスタン」の舞台をビデオで見ましたが、ユング心理学を参考にしたかどうかの真偽はわかりませんが、同じ奇怪な像でも心象風景につながるものでした。しかし、今回のリングの巨像は「たんにそこにあるだけ」です。今後もこの公演を続け2008年にまた日本に戻ってくるというのであれば、相当手を入れる必要があると思います。
 

「さまよえるオランダ人」二期会の放映

 投稿者: 中Chan        投稿日:2006年 1月31日(火)13時43分17秒
編集済
  「深夜の音楽会」(日本テレビ)で2月8日の深夜に昨年11月の
「さまよえるオランダ人」二期会公演がノーカット放映されます。

私は、蔵野蘭子(ゼンタ)の出演日を選んで11月3日を観たので、
演出も若干異なると言われる、エヴァ・ヨハンソン(ゼンタ)の
組を鑑賞できる機会として楽しみにしています。
解説は吉田 真氏です。

http://www.ntv.co.jp/shinon/0602/20060208.html
「深夜の音楽会」(日本テレビ)
〜Yomi-kyo Orchestra House〜
日 時  2006年 2月8日(水)深夜2:00〜4:30

曲 目  ワーグナー
     歌劇〈さまよえるオランダ人〉

収 録 2005年 11月 2日 東京文化会館 にて収録

出 演
指      揮 * エド・デ・ワールト
演出・美術 * 渡辺和子

< キャスト >
ダーラント * 長谷川 顯(バス)
ゼンタ   * エヴァ・ヨハンソン(ソプラノ)
マリー   * 西川裕子(メゾ・ソプラノ)
舵手    * 経種廉彦(テノール)
オランダ人 * 多田羅迪夫(バリトン)
合 唱   * 二期会合唱団
管弦楽    * 読売日本交響楽団

司 会* 山下美穂子(NTVアナウンサー)
ゲスト* 吉田 真(ドイツ文学者・ワーグナー研究家)

2時間10分近くノンストップで上演されたこの演目を
ノーカットで放映。  (ただしCM入)
-----------------------------------------------
http://www.ntv.co.jp/
日本テレビ
http://www.ntv.co.jp/dai2ntv/index.html
第2日本テレビ <商店街等> はこちら
 

天井桟敷も悪くない東京文化会館

 投稿者: 中Chan        投稿日:2006年 1月27日(金)03時19分46秒
編集済
  ゲルギエフ/マリンスキー「神々の黄昏」を5階天井桟敷右サイドの正面寄り
で聴いたのですが、意外にもオーケストラと舞台(歌手)がとても良く分離して
聞けました。

天上桟敷では、オーケストラボックスと舞台(歌手)から耳に到達する音源が、
完全に方向的に分離しているので、他の鑑賞記にある様に、オーケストラの
大音量が歌にかぶってしまい印象を悪くした、という事は全くありません。

特に大詰め「ブリュンヒルデの自己犠牲」が、客席に向かって下り傾斜の
高台に立って歌われるとき、天井へ向かう声の響きが一段と増強され、
天井桟敷にストレートに飛び込んできました。

むしろ平土間の1階席では、オーケストラが前面で、舞台(歌手)が後ろ
という関係が必然的に生じるため、指揮者が歌手に配慮し音量を抑えても、
オーケストラ音に消されて歌手が霞んでしまうなど、バランスの悪い場面
も生じたものと見えます。

--------------------------------------------------------
◎東京文化会館大ホールの客席での印象をいくつか探してみました。

http://classic.sakura.ne.jp/arc/best-hall.htm
「お気に入りのコンサートホール」1997.3.30版などの評価では、

東京文化会館大ホール
*「安かろう、遠かろう」の典型だが5階正面の音は大変良い!

* 響きが「普通」である。・・響きすぎたりしない。
ホールの中の音響にあまりばらつきがないので、客席が
どんなに安い席でも、はじっこでもそこそこ聞こえる。

http://www2k.biglobe.ne.jp/~critique/book.htm
東京文化会館では、
「オペラについても天井桟敷5階の正面あたりだと、
声はよく聞こえてきます。声は上方に響いてくるので、
舞台は見えにくいのですが、歌唱は充分聞こえて
きます。」・・・・
--------------------------------------------------------
☆いわゆる、安い天井桟敷席の5階は、舞台には遠いが、
音は良く歌唱も充分聞こえてくるとの評価が見られます。

ここでは双眼鏡は必要だけど、オーケストラと歌唱の対話が
重要な要素になるワーグナーのオペラの面白さを、俯瞰的に
かなり堪能できる座席だったといえます。

追記:
歌手の声が、どの席にもクリアーに届く仕掛けについて、
ワーグナーがマイB劇場の設計に取込んだのは正に卓見です。

そのかわり、バレンボイム著によれば、B劇場ピットでは
耳が痛いほどの大音響で振らなければ、客席にほど良い音が
届かないので、初めての指揮者はわが耳を疑うらしい。
逆に歌手を気にせず、心おきなく鳴らせる稀な環境とも。

一般的な劇場である東京文化会館では、ゲルギエフも「黄昏」
の前日(1/15)迄リハーサルを続け、特に歌唱とオケのバランス
に注力したと伝えられます。抑揚のある演奏効果に現れました。

--------------------------------------------------------
◎東京文化会館の音響設計について探してみました。

◇東京文化会館はオペラ指向の構想

1961年、東京上野公園口に誕生した東京文化会館はオペラ指向の
前川国男氏の当時としては卓見した構想により、ヨーロッパの
オペラ劇場の基本的な条件を骨格として計画された。
    (永田音響設計News162号より抜粋)
http://www.nagata.co.jp/news/news0106.htm

◇ホールの音響特性“暖かい響き”について

案出された、下側に凸に湾曲した天井、この構造が大ホールの
“暖かい響き”の大きな要因であると筆者は考えている。・・

大ホールはオペラを指向した空間だけに、響きは地味で輝かしさはない。
しかし、他にはない暖かさと奥行きを感じる。この特色を形成している
のは下方に湾曲した天井、舞台側方、後方、天井の拡散面にあると
思っている。

音楽ファンや演奏家の中にはこのホールの響きを好む層が固定して
いるのも事実である。           (永田 穂記氏)

    (「東京文化会館−計画から45年の歩みを尋ねて」
             永田音響設計News140号より抜粋)
http://www.nagata.co.jp/news/news9908.htm
--------------------------------------------------------
◇「静けさ、よい音、よい響き」 より

東京文化会館は大小ホール、音楽練習室、音楽資料室を集積した
音楽文化施設であり、大小ホールともども‘BUNKA-KAIKAN’
として国際的にも高く評価されている。

音響設計という視点からいえば、本館の音響設計を担当した
NHK技術研究所の音響研究部によって、今日の我が国の建築
音響設計の体系がまとめられたという点を強調しておきたい。
                (永田 穂記氏)
http://www.nagata.co.jp/news/news.htm
---------------------------------------------------------
東京文化会館ホールを設計した前川國男の生誕100年建築展が
昨年の12月23日から今年の3月5日まで、東京ステーション
ギャラリー(東京駅ビル内)で開催されています。
 

ゲルギエフ/マリンスキー「神々の黄昏」1/16

 投稿者: 中Chan        投稿日:2006年 1月21日(土)11時09分7秒
編集済
  サンクトペテルブルグ/マリンスキー・オペラ2006日本公演

なぜ、ゲルギエフ/マリンスキーの「指環」が日本に来るのか、
その由来も知らずに、またムカデやサナギのような異様な
舞台背景のパンフレットにも違和感があったのですが、

ワンスポットだけでも観て置きたいと、東京文化会館の
「神々の黄昏」1/16を天上桟敷5階から俯瞰してきました。
---------------------------------------------
全体の印象は予想外に素晴らしく、指揮者ゲルギエフの
圧倒的な放射光の様な力で、楽団と日替りの無名な歌手団が
ひとつにまとめられ、圧倒されるできばえでした。

不気味な四体の巨像はアジア、コーカサスの伝説「ナルト」に
由来する造形で、知ってみると素朴な暖かさも感じます。

音楽(指揮ゲルギエフ)と、舞台美術(ツイーピン)が中心で
演出はゲルギエフ&ツイーピンの合議と、指揮者主導が明確に
あらわれています。(指揮者主導はカラヤン型)
--------------------------------------------
歌手は、No1の歌唱力よりも、見栄え、キャラクターを
役柄に合わせて日替りしていく、集団方式の様でした。

黒の衣装、剃り込みのあるモヒカン刈りのブリュンヒルデには
驚きましたが、「夜の女王」とも重なるイメージがありました。

解説によれば中国風の辮髪で、この日はアイーダ、トゥーランドット
路線の"オリガ・セルゲーエワ"(4人日替りのブリュンヒルデ)。

ジークフリートは黄昏らしく、やさしい童顔のヴィクター・リュック。
(ジークフリート・エルザレム似と言えなくもない。3人日替り)

役柄作りで気に入ったのは、エジプトのファラオの様に立派な
グンターと、長身細身のやさ男に見えて危険なハーゲンの組合せ。
それぞれの弱さと邪悪な内面は、顔の隈取りに隠されている。

グンターは、立派な声の巨漢エフゲニー・二キーチン。
    (4部作前半でのウォータン、さすらい人路線の人)

ハーゲンは、ミハイル・ぺトレンコで、やや声に威圧感は無いが
 悪知恵の働きそうな長身カマキリ男、イケメン・キャラクター。
            (フンディンク、クリングゾル路線。)
  (2人とも1973年と76年生まれの30歳そこそことは驚き)

グートルーネ役、ウァルトラウテ役は、破綻はないが普通の印象。
------------------------------------------------
特にオーケストラは、ゲルギエフがマリンスキー劇場の芸術監督に
就任した1988年からのつき合いで、ゲルギエフの楽団というべき
個性と一体感が発揮されていました。

舞台の進展と共に発揮される、管楽器、打楽器をベースに、
ブレンドされた、史上まれな位のパワフルさという印象は、
ゲルギエフの代名詞とも言え、当たり前の感想でしたが、

冒頭、序幕でのナイーブで透明感のある弦の印象と、フルート
など木管楽器の水しぶきを思わせるブリリアントなきらめきは、
意外な驚きでした。

ゲルギエフは、きめ細かさとダイナミックさを兼ね備えた
カリスマ指揮者であった、という印象を新たにしました。

(音色の総括)
*最初に感じるのがナイーブさ(弦楽器の繊細さと透明さ)
*楽曲の変化と共に感じるのがブリリアントさ(木管のきらきらした華やかさ)
*管、打のパワフルさ(肺活量に任せた金管のふてぶてしい迫力、打楽器の爆発)

*最後に、地の底を揺るがす様な原始的な合唱団の「婚礼の合唱」もロシアの
大地を思わせます。

それらが徹底的にコントロールされた形で提出されます。

例えば、全オケ出番のうなりを伴う雄弁なフォルテシモ爆発にも関わらず、
次の瞬間、歌手の声を浮き立たせ、絶妙に抑えた音量のコントロール。

これにより歌唱の巧みな会話を、次々とオケ演奏が強調し、瞬間瞬間の
場面の意図を強調できているため、極めて説得力を持った抑揚と立体感の
あるゲルギエフの指環(黄昏)が構築されました。

ハイライトは「ジークフリートの葬送行進曲」で、死者の船出とも
いうべき、古代エジプト風の小舟の棺を6人ほどで担い、左右に
揺れながら進む様式感のある葬列が舞台を一巡、二巡。

この間に万感こもって涙をそそる、ゲルギエフの仁王立ちから
落とす「ダン!ダン!!」。2人のティンパニー・ロールが、
これまで聞いたことのない程の音量で、これに応える。

かつて、これほど舞台と演奏が一体感を示した葬送行進曲の場が、
あったでしょうか。本当に目頭が熱くなりました。

中央に安置された小舟に横たわった遺体に、参列者が次々と手から
砂をそそぎ弔うしきたりも、お焼香や清めの塩を使う我々にどこか
似ていると思いました。   (追記「清め砂」は神社系にあり。)

エンディングの「ブリュンヒルデの自己犠牲」も破綻無く進み
筋通りブリュンヒルデは奥に飛び込み、災いの和音に送られ、
ハーゲンもまた渦に呑込まれ、愛の救済の動機と共に全てが
浄化され、静かに消えていきました。
-----------------------------------------------------
<ワーグナーとサンクトペテルブルグの背景>

1863年にサンクトペテルブルグとワーグナーの伝統が始まりました。

1863年にワーグナー自身による指環の一部とトリスタンと
イゾルデ前奏曲などがサンクトペテルブルグで指揮された。

1900年にマリンスキー劇場での「ワルキューレ」初演。
1901年に「ジークフリート」,1902年「黄昏」,1905年「ラインの黄金」。

1940年代以降、ワーグナーの音楽の上演禁止時代(ナチス台頭)

1988ゲルギエフ/マリンスキー劇場の芸術監督に就任
2000年に100年ぶりのリング復活上演が始まる。

2000年にゲルギエフ/マリンスキー「ラインの黄金」復活公演
2001年にゲルギエフ/マリンスキー「ワルキューレ」復活公演
2002年にゲルギエフ/マリンスキー「ジークフリート」
    及び「神々の黄昏」復活公演
2004年にゲルギエフ/マリンスキー「ニーベルングの指環」(白夜祭)
  ・・・・・世界巡演・・・・
2006年1月ゲルギエフ/マリンスキー「ニーベルングの指環」(東京)
-------------------------------------------------------------
全ては、ワーグナーに奉仕する、ゲルギエフの並外れた放射(オーラ)に
よって強烈に統率された演奏であり歌唱、演技であったこと。

アジア、アフリカ、古代エジプト風など非ヨーロッパ色が眩しい舞台。

ギービッヒ家兄弟の民族的ロングスカートも、あの「春の祭典」初演の
東方風衣装(ディアギレフのバレエ・リュス)に似ている様でもあり。

アジア・コーカサス色に染め上げられた特徴的な「指環」でありました。

あの無精ひげのCDには、ちょっと手が出ず殆ど聞いたことがなかった
のですが、今回は印象を改めました。(祖先は古代スキタイ人に連なる)

終演後にしばらく待って、目の前でマエストロにサインを貰うことが
できました。一瞬のサインの後、ニヤっと笑った無精ひげが印象的。

歴史は巡る。同じ会館裏口ロビーのサイン机で、バーンスタインに
サインを貰った日もあったことを思い出しました。
 

煩悩の苦しみに苛まれるクンドリー

 投稿者: 中Chan        投稿日:2005年12月31日(土)19時04分19秒
編集済
  煩悩の苦しみに苛まれるクンドリーと言えば「パルジファル」

少し旧聞になりましたが、飯守-東京シティ・フィルの
「パルジファル」には、11月13日(日)に行きました。

オーケストラル・オペラではありますが、日本人の手に
よる企画として、ひとつの頂点を極めたワーグナー公演
「パルジファル」であったと思います。

伝説的な2000年の「パルジファル」尼崎公演を踏み台とし、
適材適所の歌手を得て、名実共に国内での「パルジファル」
公演として最高位の完成度を示し、感動をもたらしました。

[日時]2005年11月11日(金) 16時開演
    2005年11月13日(日) 14時開演
[会場]日生劇場
[出演]飯守泰次郎指揮 鈴木敬介演出
    東京シティ・フィル
      [東京2005/11/13][関西二期会2000/10/8]
 アムフォルタス:福島明也     藤村匡人
 ティトゥレル  :高橋啓三     田中 順
 グルネマンツ  :木川田 澄  ☆木川田 澄
 パルジファル  :竹田昌弘    ☆竹田昌弘
 クリングゾル  :島村武男      片桐直樹
 クンドリ      :小山由美      岡坊久美子
 アルトの声  :黒木香保里  片桐 仁美
 ほか多数
 合唱 東京オペラシンガーズ、
   洗足学園音楽大学合唱団

鈴木敬介演出は、オーソドックスなものでしたが、国内で
上演機会の少ない「パルジファル」等では、原典を伝える
意味で、先ずは台本に忠実な演出が求められると思います。

そろそろ異端な演出も始まったと伝えられる1882年初演の
元祖バイロイト2005とは事情が違うと思います。
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日生劇場では、入念な練習とリハーサルが可能だった
とのことですが、残響の極めて少ない日生劇場では、

弦楽器等の音を長めに弾かせるなど、演奏によって
補う、飯守泰次郎氏の配慮も功を奏したと思われます。

ギンゴン・ガンゴンの鐘の音は、シンセサイザーの
奏者が極めて自然な効果を出していました。

天上のコーラスは、奈落の底の合唱団の声を
(洗足学園音楽大学合唱団?)天上(天井)近くから

聞かせるなど、原典に忠実な効果を現代の技術で
違和感なく再現していたと思います。

配役は、2000年の関西公演で注目された、美声と
抑えた演技の竹田昌弘、堂々たる木川田澄が期待を
上回る一方の要となり、

輪廻転生を生きる、野生の女、魔性と母性の女、
救済を求める聖女を、演じ分けた小山由美
(クンドリ)が期待通りの主役を張りました。

クンドリは3幕でも息絶える気配なしでしたが、
自然に天寿をまっとうしたという事でしょう。

島村武男は、今回、悪魔役にぴったりし過ぎたのか、
その安定感が、あのクリングゾルの危うい異常性を、
今ひとつ、伝え切れなかったかなと思いました。

福島明也(アンフォルタス)の終始痛々しい姿は
やや漫画的な同情を買うリアルさはありましたね。

第1幕の終了では、飯守マエストロが暗転した舞台から
そっと姿を消すという工夫で、いわゆる拍手は最少限に
とどまっていました。

余韻を身体中に感じながら、充実した気分で帰路につく
ことができました。
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昨日30日(2005年)には、NHK-FMにて、年末恒例の
今年のバイロイト音楽祭から「パルジファル」ブーレーズ
指揮の放送が流れていました。2幕、3幕は盛大な拍手と
長めのブーが聞こえていましたね。

そろそろ、この厳粛な「舞台神聖祝祭劇」にも演出面等で、
新しい血や解釈を混入させていく事により、一層幅が出て
くるものと期待しています。
 

除夜の鐘

 投稿者: 中Chan        投稿日:2005年12月31日(土)18時26分5秒
編集済
  いよいよ2005年も12月31日。

大晦日の夜は、1年の日ごよみを除く夜と言う事で
除夜と言うのだそうです。

1年の最後の夜を締めくくり、暮れゆく年を惜しむ
意味で昔からいろいろな行事が行われてきました。

その中に新しい年を迎えるにあたり除夜の鐘が、
108回あちこちのお寺で突かれます。

108という数が人の煩悩の数だというのは有名ですが、
その108という数の由来については諸説があります。

代表的な説は、108の煩悩は、人間の感覚を司る
眼(げん)耳(に)鼻(に)舌(ぜつ)身(しん)意(い)
の六根が、

それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)
の3種があり3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)
染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となり、
さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、
36×3=108となるのだそうです。

除夜の鐘を聞きながら1年を振り返り、良い年を迎えましょう。
 

12月7日『さまよえるオランダ人』名古屋公演、成功裏に!

 投稿者: 中Chan        投稿日:2005年12月13日(火)00時33分40秒
編集済
  『さまよえるオランダ人』名古屋公演は12月7日に
無事終ったとのこと、なによりでした。

呼吸系統に心配材料を抱えていたと、伝えられる、
オランダ人役の多田羅迪夫氏も、体調回復に努められ、
今回は万全の体調で、全3幕をクリアされたとの事で
慶賀に耐えません。

嘗て、マイスターシンガーのザックスの名唱に接して
いるだけに、大役、無事終了の報に、良かった良かった。

紹介写真によれば、小柄の蔵野蘭子さんとのラストの絡み
でも、結構、乱暴な振る舞いが決まっていた様ですね。

井上陽水ばりのコートにサングラス姿も、かっこいいです。

名古屋公演の出演者一覧では最下段に掲載されていて
ちょっと遠慮気味に気を使っているのかなと思って
いました。

http://diary.jp.aol.com/rwkwszjhz/
2005/12/12  多田羅迪夫(教授)紹介プログ 参照
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<演技と演出>再掲

東京でのゼンタ、エヴァ・ヨハンソンは醒(さ)めて即物的な
演技に終始し、(今回は、どうやら成就しない年周りの
物語を素直に意識した)押さえ気味の演技だった様です。

蔵野蘭子は、突き飛ばされても、蹴られてもオランダ人に
恋焦がれてついて行きたいとの風情から、誰もが真っ直ぐに
海に飛び込むものと、疑わなかった迫真の演技。

その末に、何事も起こらず破局!のどんでん返しで・・幕。
この落差に、場内は一瞬戸惑いを覚えたまま・・・。

いくら愛想をつかしたと言っても「何で戻って来ちゃったの?」
と質問したい位に、何か腑に落ちない幕切れ。

その落差の話題性は高かったと思いますし、オペラ的見ごたえ
もあり、賞賛も得ていたと思いますが、果たして完結した
オペラ演出として、異議が出なかったものか?

多分、渡辺演出を頭で理解し、理屈に沿って抑えて演技した、
エヴァ・ヨハンソンが、演出に対しては正統派であったと
思えます。

続投のエヴァ・ヨハンソン。ドラマトゥルギーを問われる、
欧州公演に向けては、説明責任を果たせる演技だったのでは
ないでしょうか。

一方、歌手魂、役者魂からクライマックスを築かずにおれない
蔵野蘭子のエキセントリックな演技からは、むしろ伝統的な
ゼンタを、蔵野流に演じたかったのではないかと感じました。

念願のゼンタ役が巡ってきて、まだ度々やれる保証の無い
日本では、まず歌手、蔵野流「ゼンタ」を99%打ち出し、
最後の1%で、演出家の顔を立てたものでは無かったか?

無責任に、あれこれ聞きかじった感想として、そんな
締めくくりをしてみました。

オペラのエンターテインメント性として評価すれば、
東京、名古屋での蔵野蘭子の個性の全開は、極めて印象的で、
掛け値なく賞賛に値し、益々ファンを増やしたと思います。
 

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