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小山由美「一世一代のフリッカ」投稿日:2008年2月24日(日)23:45
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楽しみにしていた、飯守泰次郎指揮 楽劇「ワルキューレ」を、20年2月23日(土)
東京文化会館で、観ることができた。
見所は、沢山あったが、個人的に関心が強かったのは、第二幕。「ニーベルングの指環」
の一番重要な屋根の頂点、神々が没落に向う折り返し点、フリッカのウォータン糾弾の
場面であった。
当日、この場ばかりは正に「小山由美の部屋」とでも称しても過言ではない。小山由美
は、歌手生活の総決算とも言うべき、正に満を持して一世一代のフリッカをここで演じ
切ったのであった。ウォータン糾弾の場は以前から退屈な場といわれたが、1990年
前後、ミュンヘン発のM.リポヴシェフのフリッカの名演が、世界を目覚めさせた。
訊問裁判の小山由美の声は、いつもに増し、研ぎ澄まされた、シャープな切れ味を示し、
リポヴシェフを超えた徹底さで、辺りを睥睨して、机をたたき続け、ウォータン糾弾の
手を最後まで緩めることはなかった。歌いきり、同時に、この役でワーグナー歌手として
世に出たことに総決算の恩返しをしたと思う。フリッカ、オルトルート、クンドリーと
常に使い続けてくれた、指揮者、飯守泰次郎への感謝の意を洗わす演技でもあったのでは
ないだろうか。
新星演出家は、この場面をサポートし、また全面的に小山の部屋として任せたとも考えら
れる。ひいきとして、ある種の追っかけとして、もちろん小山由美の公演日を選んだとは
言え、本当に良い日にめぐり合った。小山由美が命を懸けた名場面に、最大の拍手で
その成功を祝いたい。
最後のフリッカからウォータンへのご褒美のキッスは、ぶっちぎりの糾弾ではないとの
演出家の辻褄合わせだろうか。ここは演出家のがんばりかも。
★追記3/1:関連記事を見つけました。
演出家ジョエル・ローウェルス(インタビュー)
─ヴォータンとフリッカの間に現在も愛情は存在しますか?
(演):そう思いますし、そう思いたいです! それを表現してみるつもりです。
二人の長い対決に、より深みを与えるためにも。
http://www.nikikai.net/enjoy/walkure/001.html
演出家の印象的なコンセプトとしては、歌詞に歌われているものを、一度全てビジュアル
化してみたいという願望だろう。我々もかつて、バレンボイムのチクルス公演の際、この
「糸つむぎの部屋」で、「ラインの黄金」に出づっぱりのローゲが、翌「ワルキューレ」
でウォータンに呼ばれても姿を現さないことへの奇異の念を表明した。当然姿を現しても
可笑しくない3幕の大詰めに、とうとう「ローゲ」がパントマイムで姿を現してくれた。
ローゲの登場は、解説書にも明記されたので、歌詞に歌われているものを、一度全て、
ビジュアル化してみせる試みの第1号だったのだろう。
いつか実現の日を期待していた素人としては、ご満悦にならざるを得なかったし、最後に
カーテンコールに加わった、演出家にブラボーを贈った次第である。
歌われているものを、一度全て、ビジュアル化してみせる試みの第2号は、ウォータンが
ブリュンヒルデは母エルダとの愛の結晶であること、出自を語る第二幕の場面である。
この語りをビジュアル化したのが、子供時代のブリュンヒルデの登場であった。
素人の当方としては、以前、「糸つむぎの部屋」で話題にした頃は、産着にくるまれた
赤ちゃんを想定していたのだが、このウォータン語りの間に、ともかく地底のエルダの園
と思しき風景が出現したことは、またまた、内心拍手、我が意を得たりであった。
子供時代のブリュンヒルデとしては、第一幕の前奏部、第三幕のウォータンの告別の回想
場面にも使われ、特に後者は聴衆の涙を誘うアイテムとなっていた。
歌われているものを、一度全て、ビジュアル化してみせる試みの第3号は、ご存知の三幕
「ワルキューレの騎行」における戦いの場の再現であろう。源平盛衰記の様な戦いの場面
のスローモーションは、快速で走る音楽との対比が絶妙であった。
試みの第3号だけは、私の予想外であったが、ワルキューレ達が、実際に敗れた戦士の
二人の名前を口にするだけにリアルな再現で統一された、演出家のコンセプトに狂いは
なく、賛辞を贈るものである。
日本人による「ワルキューレ」としてまずまずの陣容と出来栄えだったが、バイロイト
連続出演のベテラン小山由美を除けば、女性陣は、世代交代の時期に差しかかっており、
若干個性に欠けていた。男性は、ジークムント、フンディンク、ウォータン共粒より。
第一幕のワーグナーの毒と称される場面では、むしろ1972年公演が今でも一番と
解説にもある様に、当時、辛口「宇野功芳氏」も絶賛したジークリンデのエロチシズム
の発散が、今公演では、皆無になってしまったのは、本演出の最大の弱点であろう。
トーキョーリングは、このような、きわどい場面では、常套ではあるが、太ももを
あらわにするとか、しっかりはずさなかった筈である。まだまだ、あるが紙面の関係で、
割愛する次第である。
では、この辺で
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